平成22年3月15日月曜日

名前

日本人は自分の子供の名前を慎重に考えて付けると思う。もちろん、西洋人もこだわるけれど、普段は名前の流行と音によって選ぶくらいだ。日本人は漢字の意味、画数、兄弟の名前も考慮に入れる。しかし、もちろん日本人にはミドルネームがない。

僕は人々の名前の意味に興味がある。外国人と仲良しになったらミドルネームも聞いて覚えるようにしている。僕にとっては外国人のミドルネームは日本人の個々の漢字の名前くらい大切だ。個人のアイデンティティだと思う。

僕の名前はWilliamだ。それはドイツ語のWilhelmから来た。ヴィルヘルムと発音して、意味として二つの部分に別れる。Willは願望の意味で、helmはヘルメットの元の言葉で守るの意味がある。だからWilliamの意味は守りたいだろう。例えば、家族、恋人、友達を守りたい。素敵だと思う。日本人の男の名前に同様のものはないけれど、日本人の友達に「望」と「守」があると聞いた。そして、僕にはミドルネームが二つある。これは結構珍しいけれど、他にもそういう友達はいる。一人の友達はミドルネームが4つあって、ちょっと不便だと思う。僕は二つで満足している。一つは両親が結婚した、イギリスの地方のきれいな場所で、一つは家族に受け継がれているものだ。父も祖父も同じミドルネームがあって、Williamと一緒の語源だ。苗字の意味は薄暗い草地で、イングランドから来た。

日本人と結婚したら、妻には自分の長いカタカナの苗字をあまり使ってほしくないと思う。もちろん、妻が使いたかったらいいけれど、日本語の名前がそのまま格好いいと思う。でも、子供が生まれたらいい名前が選びにくいと思う。日本語でも英語でもある名前がいいけれど難しいだろう。女の子ならエリカ(Erica)、サラかセイラ(Sarah)、ナオミ(Naomi)、ハナ(Hannah)、アンナ(Anna)、カレン(Karen)、リサ(Lisa)、マリ(Mary)があるけれど、男の子の名前が本当に少ない。今思い出せるのはケン(Ken)、ジョウジ(George)、リイチ(Richie)だけ。あまり好きじゃない。

幼稚園で教えた子にアノンという女の子がいた。でも、自分の子供にアノンと付けるわけにはいかない。英語でAnonはAnonymousの省略で、意味は匿名だ。最悪だろう!

平成22年3月8日月曜日

自分の世界を広げる

昨日、二人のフランス人が僕のアパートに泊まった。一人は1年間留学生として青森県に住んでいる女性で、もう一人は3ヶ月間彼女の家に滞在する予定の彼氏である。CouchSurfingのサイトでその二人は僕を見つけた。CouchSurfingは世界の旅行者の交流を目的とするサイトだ。いろいろなイベントがあって、泊めたい人と泊まりたい人は連絡できる。僕は12月にイギリスでCouchSurfingをしたことがあった友達とCouchSurfingで泊まれる場所を見つけて泊まり、すばらしい経験だから僕のアパートも登録した。そうして二人の知らない人を泊めて少し鳥取の環境を見せてワイワイできた。うれしかった。

10代のころ、自分の世界は狭かった。学校で10人ぐらいの仲のいい友達がいたけれどその他はあまり知らなかったし、知りたくもなかった。でも、18歳になると心境が変わってだんだん関心が増した。今自分の世界は広くなりまだまだ毎週広くなっていくと思う。

この頃は、機会があれば、自分の世界を広めるようにしている。例えば、一昨日ホームステイした。11年前もホームステイしたけれど、その時は日本語の自信がなくて経験が不足していた。そして年月が経ったので、またホームステイすれば新鮮な経験になると思った。もう3年半鳥取に住んでいるけれど、ずっと一人暮らしだから日本の家の中の文化がわからなかった。日本人の彼女がいたけれど僕が会いたかったにもかかわらず両親に紹介してくれなかった。

ようやくできたホームステイはすばらしい経験だった。泊めてくれた夫婦の子供達はもう家を出ており、よくホームステイさせるやさしい人達だ。それに会ったことなかったけれど共通の知り合いも多くてびっくりした。僕は近くに住んでいるけれど、行ったことがない場所へ連れて行ってもらったり、食べながら深く話したりしてよかった。「盗まれた世代」、韓国と日本の歴史、捕鯨、環境保護について話した。彼らは普段はホームステイの人とそんな意味深い話題をしないからうれしいと言ってくれた。僕も深い話が好きだし、いい日本語の練習になってうれしかった。

この間友達は本を読んで次のことを言いました。昔はほとんどの人の生活が変わらなかったから経験は深かったけれどあまり幅広くなかった。最近、たくさんの人が仕事を変えたり他の場所に引っ越したりするから、経験の深さが犠牲になり幅広さが追求される。僕はどちらも大事にしたい。

平成22年3月3日水曜日

盗まれた世代

土曜日に「オーストラリア」という映画を観ました。有名なオーストラリア人の監督と俳優が作った面白い映画でした。一つのテーマは盗まれた世代です。盗まれた世代はオーストラリアの歴史の悲しくて大切な部分です。

2年前、オーストラリアのラッド首相は盗まれた世代のために正式にアボリジニに対して謝りました。僕はその日、本当に感動しました。ラッド首相の演説は長くて意味深くて心からの謝罪でした。大勢の人は感動して、総立ちで拍手喝采しました。しかしたくさんの日本人は盗まれた世代について知らないでしょうから少し説明したいと思います。

イギリス人には1788年にオーストラリアに着いてから紛争の歴史があります。世界中のヨーロッパの国々が植民地にした国と同じように白人はアボリジニから人権と土地を盗みました。白人はアボリジニより優れた民族だと思った人が多かったです。白人と有色人種の「ハーフ」という子供は危険な存在だと思いました。1869年から1969年までアボリジニ保護法でハーフは両親から盗まれて白人のコミュニティに住むことを強制されました。

そのコミュニティでハーフはアボリジニ語を使ったり文化を見せたりしたら罰されました。白人の中には、ハーフがアボリジニのコミュニティで過ごしたら放任されたままになると思った人がいました。実はそんな実例もありました。だから安全のためにアボリジニ保護法が作られました。しかし、移住したアボリジニの子供はしなかった子供より犯罪しがちになったばかりか性的虐待で苦しむことも多かったのです。

100年間に10分の1から3分の1のアボリジニの子供が盗まれたと見受けられています。1969年に盗まれた世代は終わったけれど長い間一般人は知りませんでした。アボリジニの運動家、音楽家、美術家は1980年代から話し始め1988年にアボリジニの土地所有権について有名な裁判が行われました。

1995年から1997年に可能な限り詳しい報告書が作られました。謝罪を勧めたけれど、1996年に中道右派のハワード首相が選ばれ、膨大な補償金の恐れがあったので断りました。たくさんの人々は何かしたかったので非公式な「Sorry Day」を作ったりしました。

2007年11月にハワード首相は中道左派のラッドに破れました。彼は2008年2月13日に第一議会に公式に謝罪しました。多くのオーストラリア人と同様、僕はこの間違った歴史を恥ずかしく思っており更なる改善を望みます。

もし深く知りたければ、「オーストラリア」 (“Australia”)と「裸足の1500マイル」 (“Rabbit Proof Fence”)という映画を観てください。そして、しばしば環境とアボリジニの人権について歌った“Midnight Oil”という白人のバンドと“Yothu Yindi”というアボリジニのバンドを薦めます。もちろんウィキペディアで英語でも日本語でも調べられます。